東アジアメディア研究センター所属の城山英巳教授による『マオとミカド 日中関係史の中の「天皇」』が2021年5月31日に白水社より出版されました。
<内容紹介>(白水社HPより)
工作と諜報に明け暮れた日中裏面史
「支那通」からチャイナスクールまで、帝国陸軍から自民党・共産党まで、蒋介石や毛沢東と渡り合い、大陸を暗躍した人々の群像。
「天皇陛下によろしく」――。毛沢東や周恩来ら中国共産党の歴代指導部は一九五〇年代以降、訪中した日本の要人に必ずこう語り掛けた。
日中戦争の記憶も生々しいこの時期、激しい反日感情を圧してなぜこうしたメッセージを発したか? 一九二〇年代から五〇年代にかけての米ソ日中の史料や証言を掘り下げて解明していくのが本書の基本視角だ。
まず指摘できるのは「向ソ一辺倒」から「平和共存」へと、中国の外交方針が大きく転換したことだ。超大国として米国が台頭する中、米国務省日本派が練り上げた「天皇利用戦略」を換骨奪胎しつつ、西側諸国を切り崩す外交カードとして天皇工作を焦点化していったという。
他方、毛沢東は戦争中、のちに「闇の男」「五重スパイ」などと語り継がれる日本共産党の野坂参三と延安で頻繁に接触していた。
野坂は共産党関係者を一斉摘発した三・一五事件で逮捕されて以降、「君主制ノ撤廃ニ異論」を唱えており、野坂との交流が「皇帝」毛沢東をして「万世一系」の天皇が持つ不思議な求心力について喚起せしめたという。「支那通」からチャイナスクールまで、帝国陸軍から自民党・共産党まで、大陸で暗躍した人々の群像!
<目次>
序章 日中関係史の中で「天皇」が持つ意味
本書の問題意識/本書の構成と特色
第一章 国交正常化と「中国通」外交官の役割
一 昭和天皇の戦後中国認識
「拝謁記」に見る戦争への反省/張群に伝えた「反省」と「感謝」
国連中国代表権、天皇の心配/佐藤首相に「蒋介石支持を」
「過去の不幸な戦争」に遺憾/天皇「お言葉」入念準備
二 「天皇訪中」めぐる日中攻防
昭和天皇・鄧小平会談の真実/周恩来夫人から最初の訪中招請
田中清玄の「皇太子訪中」提案/田中角栄への秘密打診/消えた天皇訪中
三 橋本恕という中国通外交官
その外交スタイル/田中角栄・大平正芳との関係/栗山条約課長の日米基軸論
「伝説」の外交官
四 正常化前の第三国秘密交渉
スイスで中国武官に接近/歴史への贖罪意識/三木武夫のポーランド訪問
ビルマでの日中大使接触/対中外交「自立論」
五 日中関係「トライアングル」論
自民党親中派の形成/佐藤の対中密使交渉/上海バレエ団の政治的目的
「あなたは特別です」
第二章 政治交渉史としての天皇訪中
一 昭和後・天安門事件後の中国認識
平成時代と天皇訪中復活/六四現場の外交官/外務審議官のサミット交渉
中国の対日「突破口」外交/「感情論」と「外交論」/米密使派遣への不信
二 「政治主導」の限界
天皇自身の訪中希望/「政治」と「官僚」の境界/金丸信の一喝で決着
「金丸工作」の光と影
三 中国はなぜ天皇訪中にこだわったのか
中国元首よりも先に訪問を/「中国脅威論」と「日本不信論」
第三章 毛沢東の天皇観はどうつくられたか
一 岩井英一と中国共産党
新党工作「興建運動」/諜報記者・袁殊との関係/周仏海の反対
潘漢年の停戦交渉申し入れ/延安のソ連特派員が知った秘密/憲兵の中共工作
毛沢東、汪兆銘政権にも接近
二 毛沢東の対米接近
米軍事視察団の延安訪問/毛沢東の対ソ不信/毛の満足した対米協議
毛・周の訪米を打診/「連合政府を論ず」/予想外のソ連参戦と日本降伏
三 延安の野坂参三
九年滞在のモスクワから/捕虜教育の「日本労農学校」
捕虜優遇政策と米の関心/「天皇制打倒せよ」スローガン/鹿地亘の反戦同盟
「日本人民解放連盟」立ち上げ
四 天皇観、野坂から毛沢東へ
「天皇制撤廃」に異論/仮釈放と国外脱出/共産党大会での「民主的日本の建設」
区別された天皇観/毛沢東の手紙/水野津太資料
「日本の革命史知りたい」と毛/戦争から体得した対日観/鹿地亘の天皇観
毛沢東と蔣介石の類似性/毛沢東の戦犯リスト
第四章 延安からモスクワ、東京
一 野坂のソ連極秘会談
スターリンの指示/不信広げた重慶会談/張家口での野坂の工作
天皇制「お墨付き」狙う
二 徳田・志賀と天皇観対立
徳田球一の出獄/自由を失ったままの思想犯/三木清獄死の衝撃
天皇、人権指令に「遺憾」/エマーソンの府中刑務所訪問
徳田・米接近にソ連警戒/ソ連、野坂の天皇観支持/野坂の帰国
三 野坂の戦後計画と象徴天皇制
天皇・近衛主導の憲法改正/野坂と近衛の接点/近衛の挫折と自決
天皇制維持のための「象徴」/野坂とGHQの接触
第五章 蒋介石の戦犯リスト
一 「戦犯リスト」の全容
極東分会での日本戦犯処理/「戦犯処理委員会」の実情
最初の「戦犯リスト」に昭和天皇/「百七十八人リスト」と「三十三人リスト」
岡村寧次の回想/南京事件戦犯の処罰/「主要戦犯」酒井隆と磯谷廉介
二 戦犯リストはいかに作成されたか
米大使の国務長官宛て電報/戦犯選定に向けた内部会議/政治戦犯の選定過程
蒋介石の意向
三 「戦犯」としての天皇
削除された「日皇裕仁」/「天皇戦犯」を危惧した米
原爆投下翌日のグルー覚書/天皇訴追回避の決定/「ミカドは去るべし」
カイロ会談/実力不足の「大国」/「天皇制」と「戦争責任」の区別
四 蒋介石にとっての戦争和解
迫り来る国共内戦の中で/「対日講和」での天皇議論
外交ファイル「天皇制一件」/独自の戦後処理
第六章 「戦犯」乗り越えた異質支那通
一 陸軍の内部告発者・田中隆吉
キーナン首席検事に協力/「天皇を無罪にする」/なぜ軍人を辞めたのか
東京裁判証人になった経緯/自殺未遂とその歴史的評価
二 辻政信潜行と繆斌工作
東南アジアから重慶に潜入/「繆斌工作」とは何か/戴笠の墜死と繆斌の刑死
戦後語られる工作の真実/対日和平攻撃への「口封じ」説
三 日本敗戦と南京の岡村
「以徳報怨」演説と対中協力/蒋との会見と邦人引き揚げ
身に迫る戦犯問題/監獄で聞いた同期二人の死刑/結論ありきの無罪宣告
四 蒋介石救った元日本軍人
岡村に渡された書簡/根本博の作戦指南/「白団」密約
大陸放棄に立ち会った富田直亮/軍事教育の失敗/「武士道」再評価
第七章 「戦犯」から「元首」へ天皇観変容
一 蒸し返された「天皇戦犯論」
国共内戦での対ソ接近/向ソ一辺倒政策の加速/李自成にならない
人民日報の天皇批判/ハバロフスク戦犯裁判/東京裁判の「欠陥」
毛沢東による朝鮮戦争/マッカーサー批判を優先
「天皇」討議された外交部討論会
二 廖承志主導下の対日工作
平和攻勢外交へ転換/周恩来の「対日工作」指示/モスクワ会議で対日接近
高良とみ国会議員訪中/「接待組」の発足/「平和会議」北京開催
一九五四~五七年の交流拡大期/初の訪日代表団
三 鳩山一郎政権取り込み
村田省蔵の対中接近/政治局採択の初の対日方針
戦前から戦後の中国通外交官/日中閣僚初の本格会談
アジア二課の中国認識見直し/共産党相手に政府外交模索
四 「天皇陛下によろしく」
戦後初、北京で日の丸/毛沢東「天皇制支持」/「皇軍に感謝」の意味
五 外交文書に記録された日本工作
「以民促官」の大量招待/五四年秋の国会議員訪中団/「国会議員接待計画」記録
政党ごと対応や報道マニュアル/日本人記者訪中団の接待工作
「新中国」はどう日本に伝わったか/対鳩山工作と重光の壁
「鳩山・重光とシャンパン」/「日本組」の組織化
第八章 元軍人訪中団と毛沢東外交の戦略性
一 元軍人の戦後中国認識
遠藤三郎の訪中/外交文書に記載された人選過程/日本政府と警察の警戒
辻政信の妨害
二 同時進行の寛大戦犯処理
訪中団に入った土居・茂川/毛沢東の戦犯釈放決定/対日関係正常化狙う宣伝
三 天皇制の尊重
毛沢東との会見/「陛下」と敬称づけ
四 元軍人影響力に着目
畑俊六と磯谷廉介の訪中模索/「大将訪中」への期待
台湾派軍人「白団」に関心/辻より遠藤訪中団優先/日本与党の政界人脈狙う
五 贖罪意識と優越意識の交差
「過去」より「反省」重視/堀田善衛の戦後中国認識/共産党戦略の挫折
終章 「外交主体」としての象徴天皇
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