東アジアメディア研究センター所属の渡邉浩平教授による『第七師団と戦争の時代 -帝国日本の北の記憶-』が2021年8月18日に白水社より出版されました。
<内容紹介>(白水社HPより)
北鎮――近代日本が忘却した北への眼差し。日露戦争から尼港・ノモンハン事件、そして樺太の自衛戦争まで、北鎮師団は何を語るか?
「そこから旅順港は見えるか」
大東亜共栄圏から東南アジア進出にいたるまで日本の対外認識を大きく形作ってきたのは、「南進」論であるといわれる。
しかし、果たして、それは正しい理解なのだろうか? これが本書の問題関心である。
帝国が産声を上げたとき、まず目を向けたのは国内反乱である。陸軍は「鎮台」を設置。そして国内秩序が安定してくると、鎮台は「師団」になる。
その後、第七師団が札幌の月寒に創設された。この師団は鎮台からの繰り上げではない、全く新しい危機に対応したものであった。いうまでもなくロシア(ソ連)の脅威への対応である。
第七師団は北辺の守りを司る「北鎮」師団として北の民の心の拠り所だった。日露戦争では旅順攻略戦や奉天会戦に参戦、シベリア出兵(尼港事件に遭遇)やノモンハン事件でも戦い、太平洋戦争時にはアリューシャン列島やアッツ島に派遣、敗戦直前には占守島や樺太でソ連の侵攻を食い止める役割を担った。
ここには、戦後日本では封印された「北鎮」の思想がある。
「最強」師団はいかに戦い、そして負けたのか? 「北鎮」という忘れられた北への眼差しを恢復する試み。
<目次>
はしがき
第一章 恐露病の由来
第二章 万やむをえざる政略
第三章 北に向けて葬れ
第四章 「川上の人々の集落」にできた軍都
第五章 第七師団に動員命令がだされなかった理由
第六章 戦争は、いまでは国民によっておこなわれる
第七章 奉天会戦と二つの戦後
第八章 シベリア出兵ではたした役割
第九章 尼港事件とその後
第十章 忠魂納骨塔ができるまで
第十一章 最後の陸軍特別大演習
第十二章 英霊と英雄
第十三章 樺太への移駐と関特演、ついで静謐
第十四章 「解放」の論拠
第十五章 北鎮の終焉
第十六章 星条旗と旭日旗
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