映画『ディア・ピョンヤン』『かぞくのくに』のヤン ヨンヒ監督の最新作『スープとイデオロギー』が来る7月16日(土)よりロードショー公開となります。この公開を記念して7月15日(金)にシアターキノにおいて、ヤン ヨンヒ監督ご本人をゲストに迎えトークショーを開催します。ヨンヒの母(オモニ)の口から初めて語られた済州島「済州4・3事件」の記憶。最新作『スープとイデオロギー』はヤン ヨンヒ監督がオモニの証言をもとに、オモニの生きた時代と家族の生きざまを描いた作品です。
日時:2022年7月15日(金) 18時40分~21時40分終了予定
内容:映画上映+ゲストトーク(上映終了後)
ゲスト:ヤン ヨンヒ監督
荒井カオル(プロデューサー・出演)
聞き手:
玄武岩(北海道大学メディア・コミュニケーション研究院教授)
入場整理番号付前売 1,500円(当日1,800円)
KINO会員前売 1,300円(当日1,500円)
※チケットの詳細については、「シアターキノ」にお問い合わせください。
*『スープとイデオロギー』オフィシャルサイト https://soupandideology.jp/
【母と娘の女同士の対話が完成させた在日家族の年代記】
在米コリアンのミンジン・リーの同名小説をドラマ化したApple TV+シリーズ「パチンコ」は、在日コリアンを表象する年代記の不在を浮き彫りにした。『スープとイデオロギー』は、『ディア・ピョンヤン』(2005)、『愛しきソナ』(2009)に続く3部作の大詰めとして、はからずも在日家族の3代にわたる年代記を完成させてみせた。ただし、在日家族の年代記は"母"を主人公にしたことによってではなく、"女"が登場することで紡がれる。家族の物語は母と娘の女同士の対話によって完成するのだ。
同作で語られるように、ヤン ヨンヒ監督の作品はこれまでオモニ(母)に焦点を当てていない。引き裂かれた家族のもう一方の北朝鮮を撮影現場にする分断の物語は政治の世界であって、そこに"女"が出る幕はなかったのだ。済州島出身の両親が北朝鮮を支持するのは済州島4・3事件が関連すると察しがついていても、これまで母の過去に向き合うことを娘は避けてきた。その娘の目を覚ましたのが、閉じ込められていた4・3事件に関する母の記憶の片鱗に触れたことだ。総連活動家という"男"たちが牛耳る民族組織の世界で、母は記憶を封印するしかなかった。夫にも言ってはいけないと娘は念を押された。
大阪に生まれ、終戦直前に大空襲のため済州島に疎開した母・康静姫は、やがて4・3事件に巻き込まれて婚約者をも失う。きょうだいは生きるために再び大阪へと密航するしかなかった。芳紀まさに18歳にして3歳の妹をおんぶし、弟を連れて30キロを歩いて密航船に乗るなどという話は、済州島から大阪への「密航」について研究した筆者も聞いたことはない。在阪済州島人のもっとも壮絶な生き様を凝縮した母の体験に耳を傾けるべく、済州の4・3研究所が聞き取りに訪れたのは近年のことだ。
母の記憶を閉じ込めたのは、植民地と分断、そして男性中心の世界であった。母にとって大阪は、生き残るための避難場所でもあったが、生まれ故郷でもある。密航という険しい道のりを耐えさせたのは、その苦境さえ乗り越えれば再び大阪で暮らせるという希望の光が差していたからではないか。4・3事件の凄惨な記憶は、婚約者の死という個の苦痛よりも縷々たる屍として集合化しなければ意味をもたなかった。こうして集合化した記憶は、北朝鮮への忠誠として発現し、3人の息子を「帰国事業」の一環として送り出すことにも耐えるものとなる。母はそれを運命として受け入れた。
その運命に翻弄された母にとって、鶴橋は済州島よりも平壌に近い場所となった。北朝鮮に渡った息子家族を支えるため、借金することもいとわず仕送りを続ける母を娘は嗜める。娘は母の記憶を封じ込めた共犯者であった。同作には、これまで母が視界に入らなかったことの監督の悔恨が滲み出る。そして"鶴橋"で凝固して閉じ込められた母の記憶を解き放つ旅に出る。韓国で再び革新政権が誕生し、「総連系」の在日コリアンにも故郷への訪問が許されたことで、済州4・3事件70周年記念式典に参加することを決めたのだ。
ヤン監督が母の記憶に対峙するには、夫・カオルの助力が必要であった。日本人の婿は受け入れられないとしていた両親の意向は、「日常」の表象である伝統料理の「スープ」によっていとも簡単に解除される。父が生きていたとしても変わりなかったに違いない。『ディア・ピョンヤン』と『愛しきソナ』との世代間を紡ぐことで在日家族3世代の年代記が完成するのであれば、同作は、母の物語である以上に、監督自身の物語でなければならなかった。ただ、夫が登場しても"男"はあくまで脇役であって、主役は二人の"女"である。
「スープ」がテーマとなるややスローなテンポの前半から、同作は「イデオロギー」が前景化する後半へと向かう。母の記憶は、娘に4・3事件を語り出したことでたちまち病に侵されていく。済州島の4・3研究所で証言を求められる母には当時を振り返る気力などない。というより、母にはもはや記憶は不要であった。すでに娘に託していたからだ。そして済州4・3記念式典で、封じ込めていた韓国国歌を合唱することで、母の閉じ込められた記憶は完全に解き放たれる。
抑圧された記憶の解放は、"女"としての初恋の思い出にも居場所を与えたはずだ。しかしそれも、総連活動家の妻として、また北朝鮮に「帰国」した息子たちの母として歴史に翻弄されながらも必死に堪えてきたかけがえのない記憶とともに消えかけていた。4・3研究所は済州4・3平和公園に元婚約者の墓石が存在しないことを突き止めていた。"女"としての記憶が蘇ったとしても元婚約者と対面することは叶わなかったのだ。
ヤン監督は時折涙を浮かべる。奇しくも母が北朝鮮の革命の歌と韓国の国歌を歌う場面である。韓国国歌など聞くこともなかった総連活動家の一家。革命歌を心の支えにして生きてきた母が、済州4・3事件記念式典に参列してうろ覚えの韓国国歌を必死に口ずさむ姿を見て娘の胸に去来したものは何か。「スープ」より「歌」が心に染みた。
玄武岩/北海道大学
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